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zoom RSS 我輩はうたうたいであった。

<<   作成日時 : 2005/04/04 11:08   >>

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時間・・・
日々、時間に追われている。
何時までにこれをやって、何時までにこれをここまでやって・・・。
何時までにここにいって・・・
何日までにこれを完成させて、これをこうして・・・。
何月までに、何年までに、こうするためには、どうしたらよいのか。
今できることは、何か。今日できることは、何か。

気づけば時間は過ぎていく。

残された時間。与えられた時間。
こうして今やっていることが、どうなるかなんて分からない。
いつまで続けられるかも、わからない。

今まで何度も聞いた言葉。
「プロになる気はないんだよね?」
「趣味にとどめておくほうがいいんだ」
「食えるわけないから」
「どうしてそこまでやるの?」
「後継ぐんだよね」

大きな決断をするために一時期とても考え、悩んだけれど、決めてから
「どこでどうなるかわからないものね」
「やれることをやってみたらいいよ」

そういう言葉も聞くようになった。

私も年齢的に大きな選択を迫られる時は必ず来る。
現実的な話し、仕事をしているわけだけれども、後継ぎという面では、
自分の家の仕事をしていくならばもっともっと技術的にも勉強しなければならないことは
たくさんある。
音楽は、今の状態で続けることはおそらく不可能。
それだけは、分かっている。
どちらも責任重大なこと、中途半端でできることではない。

どちらにしても、選択を迫られる日はそう遠くはない。

ようやく、関東ライブを毎月一度のペースで行えるまでになった。
ここまで辿り着けた。
・・・はじまったばかり。確かにそれはそうだけれど
次にいくため、「加速」したい。
毎回、同じではいけないのだ。同じでいたくない。「進化」して、その進化も「加速」していきたい。


何のために、私は音楽をやっているのか。

「呼吸」をするためにやっている。
音楽は、私にとっては生きていく中で「呼吸」という行為と同じなのだ。
なくては生きられない。
そこまで大事なものであるからこそ、
まずは現実生活するために働き、後は眠る時間を削っていくことになる。
人生を、二倍生きているような感覚に陥るときもある。

近くに見ている人は、「大変ね〜」という。
大変ね〜なんて言ってもらわなくても、この大変さは、私がきっと味わいたいのだ。
というか、「必要」なのだ。

「私は、うたうたいであったのだ」ということに気づくと、
苦しさや辛さ、悲しさは「必要」なのだ。不可欠であり、心の中ではwelcomeである。
生きる上での全ての感情、経験は、すべて表現や表情につながっていく。
必ず、その大きな苦しみにはその分大きい喜びは必ずついてくるはず。
形を変えて、時期を変えて、波のように押し寄せてくる繰り返し。
だから、心が生き生きしていける。そう感じている。

自分の声で唄はうたっていない。けれどサックス、いや、仮にドラムであっても、
私は楽器を通じて「うたをうたっている」のだ。

もっともっと、うたをうたいたい。
もっともっと、自分のうたをうたいたい。
今はまだ、何か違う。まだ本当の自分が出ていない。出せていない。

そういう欲求が溢れてくる。それに追いつきたい自分がジレンマとしてまだある。

タイムリミットは、そう遠くはない。それを強く感じる。
それまでに、どこまで突き進めるのか。

自分の中で自分に対する欲求、
(技術的な面、内面、表現方法も含めて)
現実的なバンド展開でやっていかなければならないこと
同時に、心の余裕と、体力の余力のバランスを保ちながら。

何のために、スタジオまで作って、今まで活動をして、
何のために、こうして関東までいってやっているのか。
そう思えば、一回一回ライブの大切さや、その一回で「何ができるか」、
可能な限りのできることを探して、やりたい。

やり残したことがあるなんて、言いたくはない。

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